【ナゼそこ?加藤憲一】世界を動かす100人に選ばれた鹿児島県の古民家(幕末に建てられた)に住む人

【2024年(令和6年)8月8日放送】テレビ東京の番組の『ナゼそこ?』を見ていて、スティーブジョブズとか、ビルゲイツとかと肩を並べる世界動かす100人に選ばれた人だと聞いてめちゃくちゃ興味を持ってしまいました。

その加藤憲一(かとうけんいち)さんの名前は、当時の小学館から出されていた最新情報や用語辞典として発売されていた『データパル』という本にお名前が載っていたようです。

加藤憲一さんはテレビに何気なく出てきたその風貌は普通のおじさんでしたが、

作務衣のような服に着替えると、「なんかすごそうな人」って、まさに仙人のような風貌に変わりました。

なぜ、
鹿児島県の山奥にぽつんと立つ家に、お一人で住んでいるのか?と結論から言うと、

「そろそろ故郷に根をはって生きたいな」という気持ちになって、

御両親が住んでいた約170年前の幕末に建てられた鹿児島県の家に住むようになったそうです。

そして、
故郷に移り住むようになったのは、61歳の時でした。

30代の頃『からいも交流』というNGOを発足して、貧しい国の方たちを助けたいという思いで、ミャンマーやタイなどに出向いて支援し続けたそうです。

当時の加藤憲一さんは、
・世界と交流をして、
・お互いに学び合い分かち合い、
・お互いに助け合って生きていこう

と考えていて、

そのような功績が認められ、先程言った世界を動かす100人に選ばれたようです。

現在74歳になる加藤憲一さんは、
この移り住んだこの故郷の地で新しい挑戦をしたいと思っているそうです。

その新しい挑戦とは何かと言うと、
タイとかミャンマーとか雲南とか山岳民族の方たちを招いて、自分達で家を作ってもらう

ことだそうです。

そして、
その方たちの村と交流して定期的に海外から来る仕組みを作りたい

ということを考えられているそうです。

ここまで、
加藤憲一さんについての簡単にまとめてみました。

このようにみてくると、
当時、加藤憲一さんが言われていた「お互いに助け合う」ということが、

2000年代になって、実は最新の情報になりつつあるような気がしています。

そういう意味では、
加藤健二さんは、先駆者的な発想を持っていたのかもしれません。

または、
加藤憲一さんは先駆者というより、時代が変わっても変わらない人間の本質を既に捉えられていた哲学なのだと思います。

このように文章で書くと、すごく難い感じの人のように思いますが、テレビで出ていた加藤憲一さんは、

野草に詳しい、自然をこよなく愛する方です。
先駆者というより、テレビのテロップでも書かれていたように、まさに仙人のようです。

私的には、
「お茶目な仙人」と表現したいです。

番組の中でも、加藤憲一さんが、
「こんな一人で住んでいる私のところに訪ねてくれたから」と手元にあるもので、おもてなしをされていました。

そのおもてなしの料理の中にあった
カキドオシという野草入りヨーグルトが魅力的でした。

出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/

番組スタッフの方も「なんかおいしいですね」という感じでおっしゃっておりました。

確かに私も「ちょっと味わってみたい!」気がしました。

カキドオシとは

※「垣通し」→「カキドオシ」

垣根を通り越して、 入り込んでしまうことから生命力が強いといわれている野草

これを機会に、
加藤憲一さんがテレビなど出演した時、「あのナゼそこ?の番組に出ていた人」と思い出してくれれば幸いです。

ここまで、『ナゼそこ?」の番組内で紹介された加藤憲一さんについてお伝えしました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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