グリムスパンキーのwiki風プロフィールやデビューまでの経歴や考え方

今回は、プロミュージシャンの間で評価の高い松尾レミさんと亀本寛貴さんのお二人で構成されるロックグループのグリムスパンキーについてです。

私的には、
グリムスパンキーは、内面に持つ情熱やこだわりがセンス良く表現され、今風の雰囲気と独特な感性で、粋な空気感を醸し出していると感じています。

そんなグリムスパンキーの松尾レミさんと亀本寛貴さんになるまでには、どんな思いや考え方や背景があったのでしょうか?

そこで、
グリムスパンキーの松尾レミさんと亀本寛貴さんのプロフィールや経歴をwiki風に、

  • グリムスパンキー(松尾レミ・亀本寛貴)のwiki風プロフィールやデビューまでの経歴
  • グリムスパンキー(松尾レミ・亀本寛貴)の考え方や趣味思考

という2点からエピソードを交えてお伝えしていきます。

特にグリムスパンキーの松尾レミさんの家族から受けた影響や高校時代の意志決定が現在の活動の元となっていることがわかると思います。

グリムスパンキー魅力の背景を知り、あなたの日常に活かしていただけたら嬉しく思います。

では早速、
グリムスパンキー、そして松尾レミさんと亀本寛貴さんのお二人について一緒にみていきましょう!

グリムスパンキー(松尾レミ・亀本寛貴)のwiki風プロフィールやデビューまでの経歴

 松尾レミさんと亀本寛貴さんの出身地

松尾レミさんは、
長野県下伊那郡豊丘村という飯田市周辺にある村出身で、

亀本寛貴さんは長野県飯田市出身です。

地図でみると大体こんな位置になりますが、あらためてマップでみると、海からも遠く、自然に囲まれている奥地って感じですよね。

伊那出身のミュージシャンから意外なつながりの発見

それで、伊那出身で常田俊太郎さんというヴァイオリニストであり実業家の方がいるんです。

そして、常田俊太郎さんの弟さんで常田大希さんというKing Gnu(キングヌー)というロックバンドに所属するミュージシャンがいます。

実は、最近ブレイクし始めている歌手でありアーティストの『さらさ』さんが高校時代に参加していたセッションを主催していた側に、King Gnu(キングヌー)のメンバーの方がいらしたんです。

それで、
さらささんと松尾レミさんってちょっとした親交があるようなんです。

といわけで、
伊那という地名から意外なミュージシャンつながりを紹介しました。

さらささんについて興味がある方はこちらからどうぞ↓

さらさ(歌手)のwiki風プロフィールと経歴。【湘南の出身のシンガーソングライター】

 

松尾レミさんと亀本寛貴さんの生年月日と年齢と干支

松尾レミさん
1991年12月7日
(令和6年現在で32歳)
未(ひつじ)年

亀本寛貴さん
1990年8月24日
(令和6年現在で33歳)
午(うま)年

 

松尾レミさん学歴

高校卒業後、日大芸術学部デザイン学科に入学します。


なぜレミさんはこの大学を選んだかというと、、、

高校時代にできたグリムスパンキーの存在がレミさんの中でめちゃくちゃ大きいくて音楽もやりたい。でも絵も描きたい。

そこで考えたのが、

「じゃあデザインを学べば、音楽もやれるし、音楽のパンフレットデザインもできる」

というような考えで、日大芸術学部を選んだという経緯があるそうです。

松尾レミさんの家族(両親・祖父)

両親

松尾レミさんの幼少の頃のご両親への印象を振り返ると、とてもおしゃれな生き方をしていたと感じているようです。

お父さんは、

雑貨屋さんやっていて、そのお店の外壁に映像を映し出して近所の人に見てもらったり、

又、お父さんはギターも弾けていたらしいです。

そして、お父さんのおじさんなどは、ギターを弾いて聴かせてくれたりと、

現在の松尾レミさんの音楽環境に多大な影響与えていること間違いありませんよね。

母親は、

お母さんはというと、イラストを描くのが好きで、レミさんは幼少期の頃、絵の具とか画材が身近にあって、絵に触れる機会が多かったとのことです。

祖父は、

自分の仕事とは別に、画家として、掛け軸とか日本画を描いていたそうです。

又、親戚にも日本画の画家さんがいらっしゃったそうです。

まさに、レミさんが日大芸術学部に入学したり、画家志望だったりと、「環境が人生を作る」と言っても過言ではないですね。

グリムスパンキーとしての経歴

グリムスパンキーのはじまりは?

グリムスパンキーというバンドの由来は、レミさんが高一の時に文化祭用に作ったバンドが発祥のようです。

グリムときくと、グリム童話を連想してしメルヘンチックなイメージをしてまうのですが、その対局なハードさを感じるスパンキーという言葉の組み合わせで、インパクトのあるオンリーワン的な存在を目指したのだろうと推察します。

でも、凄くうまいネーミングですよね。

そして今一緒に活動している亀本さんは、レミさんと同じ高校の一つ上の学年の先輩で、途中からグリムスパンキーに加わったそうです。

当時は、コンテストにも出ていて、オリジナル曲も作っていて、デビューして10年ほど経ったいまでも、当時のオリジナル曲は歌ってるそうです。

文化祭が終わった後のグリムスパンキー

グリムスパンキーとは、レミさんが文化祭用に作ったバンドだから、文化祭が終わるとメンバー達は、本来の学生生活に戻っていきます。

しかし、レミさんとドラムの人はグリムスパンキーとしてとどまっていたようです。

それは、レミさんがグリムスパンキーを継続させ、オリジナル曲もやりたいという思いが強かった結果だそうです。

そこで、グリムスパンキーのバンドメンバーを募集したら、亀本先輩とベースの先輩が加わってくれたそうです。

しかし、集まったメンバーは、楽器できるからバンドを組んだという感じでした。

ですので当然、
音楽の方向性はまちまちだと思います。

そんな中、
募集してそれなりの人数のいたグリムスパンキーは、松尾レミさんがリーダー的存在として決めた事に対して、「みんながわかった~」という感じで成り立っていたそうです。

又、レミさんと亀本さんの通っていた高校は、軽音楽部禁止で、「自分達ではやるならいいよ」というのが学校側のスタンスだったようです。

そして、

レミさんや亀本さんの地元は、ライブハウスが辛うじてあるぐらいで、元々音楽に興味を持った人がいる地域ではなかったようですね。

月一回ぐらいのペースでそのライブハウスには出ていたみたいです。

メジャーデビュー10年(2024年現在)のグリムスパンキー

現在は、松尾レミさんと亀本さんの2人ですが、今はどっちがリーダーでどっちが決定権がある感じでもなく、10年くらいやってきて今に至るようです。

メジャーデビュー10年を振り返って

グリムスパンキーのデビューは大学中退という形で始まりました。

大学も留年していたのもあり卒業できなそうだったので、もう辞めちゃえという感じで思い切って大学中退してしまったようです。

今から10年前いうと、2014年あたりの頃、メジャーデビューしようかって声がかかっていた時期でもあり、下北沢、渋谷、新宿などでライブをやってたそうです。

デビュー10周年で何か思うこと

デビュー10周年というより、GLIM SPANKYとして活動し始めた頃として考えると、

『閃光ライオット』という10代限定のフェスで大きな気づきを得たようです。

当時レミさんが高校3年、亀本さんが大学一年の時でした。

その『閃光ライオット』というフェスは、全国のバンドマンたちが応募していて、その時、グリムスパンキーがファイナリストに選ばれたようなんです。

そしてそのフェスに出ていた時、ラジオ局とか雑誌とかが絡んでくることを知って、

村出身のレミさんにとっては、
ラジオとかテレビとかっていうのは雲の上のような存在だと思っていたのが、「目標として目指していいもんなんだ」と、気づきを得たようです。

そしてイメージとしてではなく、現実に存在するものだとわかると、

「グリムスパンキーとして絶対東京に行くぞー!」と固く自分に誓ったそうです。
こういう気持ちになれたことこそが大きなターニングポイントになったと振り返って思うそうです。

こうやって、グリムスパンキーのことを知ると、

グリムスパンキーの曲がまさにバンド名の通り、すごい情熱的だけど、やさしさも感じられる曲作りに反映されている気がします。

こういう気持ちって新しく何かを始めるときって一番大切だと思うから、こんな時こそグリムスパンキーの曲を聴いて勇気をもらたいですね!

グリムスパンキー(松尾レミ・亀本寛貴)の考え方や趣味思考

松尾レミさんの考え方や趣味思考

今、レミさんってハマっているのはアロマはみたいです。

例えば、
焼き肉屋でたくさん食べた後に、板ガムや飴を食べてスッキリするみたいな感覚で、ペパーミントオイルを部屋に充満させることに食後のスッキリ感を楽しんでみたいです。

それで私事ですが実は、、、何を隠そう私は、ペパーミントのエッセンシャルオイルの愛好者です!

かれこれ10年近くになると思いますが、他にはオレンジのエッセンシャルオイルも長年愛用してます。

純度の高い高品質なエッセンシャルオイルを嗅ぐと、ほんと気分も良くスッキリしますよ。

又、レミさんは昔よく読んでいた本や、聞いていた曲から、使い古された物や見飽きたことに、新しい発見がある事を最近知ったそうです。

そしてレミさんは、そのような感覚に似た存在感のある楽曲作りをしていきたいそうです。

確かにレミさんがおっしゃるように、時が経つと新鮮に感じられるモノってありますよね。

流行は繰り返すとよくいいますが、今若い人の間でも、昭和レトロにハマる人も多いようです。

私は、流行るモノコトは目に見える現象ですが、内面を映し出すものと捉えることが多いです。

例えば、
今日本でも洋風で洗練された雰囲気の街づくりが多くなりつつあります。

私もそういう街づくりはとても好きなんです。

でも、その逆にやや荒々しい未完成さに情熱を感じる機会が減っているという見方もできると考えています。

難しいことはさて置いても、昔の物への懐かしさに魅了されるところはありますよね。

あなたは、いかがでしょうか。

亀本寛貴さんの考え方や趣味思考

亀本さんはいつも、暮らしの中で小さな喜びを一つ一つ感じることが多いそうです。

例えば、

・朝起きてコーヒー入れてベランダに出てタバコを吸うとか、

・ブロッコリー付きのベーコンエッグをパンと一緒に食べたりとか、

・買った中華鍋で、シャキシャキのキャベツ炒めの美味しさを作って楽しんだりと、

そういう何気ない幸せの積み重ねで超しあわせな一日が作られていると感じられることが亀本さんの根っこにあるようです。

でも私も「ほんとわかるわ~」
と凄く共感できます!

例えば、
以前私は、結婚披露宴に出席した際に好きな物を選べるお返し物のパンフレットから中華鍋を選んで使ってた時がありました。

そして、セットとして付いてきた中華鍋用の鉄製のおたまも使ってチャーハン作りしてました。

確かに、「中華鍋って使いやすいなぁ」って感じてました。

中華鍋の丸さって絶妙で、素人の私でも炒め物が鍋の外に飛び散りにくくて、凄くいいんですよ。

そんな感じで、私なんちゃって料理人して楽しんでました。

亀本さんって、「自分の好きなモノコトをどれだけ広げられるか」という考え方が根底にあるみたいです。

だから、
亀本さんのおっしゃる小さな幸せの積み重ねも、「これって他の人に話したら喜んでくれるんじゃないか!」って、自分以外の人と共有したい気持ちが元々備わっている方なんだと感じます。

こういう思考が楽曲作りに反映されて、楽しんでる感じが伝わってくるようです。

 

グリムスパンキー(松尾レミ・亀本寛貴)のまとめ

ここまで、グリムスパンキーそしてそのメンバーである松尾レミさんと、亀本寛貴さんについてみてきました。

○グリムスパンキーの松尾レミさんと亀本寛貴さんのwiki風プロフィールとデビューまでの経歴や考え方を要約すると、

出身地はお二人とも長野県で、
松尾レミさんと亀本寛貴さんは、同じ高校の先輩後輩。

音楽や芸術に関心の高かった家庭環境のもと、高校時代に文化祭用のバンドで作ったのが、グリムスパンキーの発祥。

『閃光ライオット』というフェスで、実際に目標として目指していいもんなんだと気づき、東京進出を固く誓った。

という感じで、現在に至っています。

○グリムスパンキー(松尾レミ・亀本寛貴)の考え方や趣味思考のところでは、

松尾レミさんがハマっているのは、ペパーミントのアロマを食後に部屋の中に充満させることがはマイブーム。

亀本寛貴さんは、朝起きてコーヒー入れて、ベランダに出てタバコを吸うというような、暮らしの中での小さな喜びの積み重ねで作られていることに幸せを感じる。

とのことでした。

このようにみてきますと、グリムスパンキーが有名になってきたのは、お二人の努力は当然のことと思いますが、特にレミさんの幼少の頃の環境下で培われた要素に加わり、

「夢は夢のままで終わらなくていいんだ!」という気づきが、強く深い決断が現在のグリムスパンキーに繋がっているのだと、つよく感じます。

最近、異分野で活躍する方々を見ても、自分のやりたい事に気づくと、ぞっこん集中して願望を叶えている人が多いなという印象があります。

ほんとこのような姿勢に学ぶべきことがたくさんあります。

なので、グリムスパンキーさんの松尾レミさんそして亀本寛貴さんのお二人にも、さらに音楽を通して発するオリジナルなメッセージに注目していきたいです。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

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